For RENTAL Only
自分専用の執務室で、大きく伸びをして寝不足気味の頭に酸素を送り込むと、ルルーシュは机の上に置かれた端末の画面に視線を向けた。
昨夜の当初の予定では、自分勝手な行動をとったジェレミアを少し懲らしめてやろうと思って部屋に忍び込んだルルーシュだったが、思いもかけないジェレミアの長話を聞かされて、気がつけば朝になっていた。
最初は、ジェレミアのくだらない言い訳のつもりで聞いていた話しだったが、途中からルルーシュの態度が変った理由は、預かったジェレミアの私産の使い込みを指摘されたからではない。
だからと言って、少女の不幸な境遇にルルーシュが同情したわけでもなかった。
大金の工面ができたジェレミアは、ルルーシュの命に従って、今日も朝からハードなスケジュールをこなしている。
嫉妬に駆られたルルーシュは、昨夜の内にジェレミアの今日の予定を思いきり詰め込んでやったのだ。
余計なことを考えている余裕など、今日のジェレミアにはないはずだ。
それを証明するように、ルルーシュの前に置かれた端末の画面に映し出されているジェレミアは、まだ昼をすぎたばかりだと言うのに、疲れた表情を浮かべている。
すでに朝から6人の相手をしているジェレミアの無理に作った笑みが、ぎこちなく歪んでいた。
「こっちは放っておいても大丈夫か・・・」
それを満足そうに眺めながら、誰もいない部屋で独り言を呟いたルルーシュは、ジェレミアの姿を映し出している端末とは別の端末をいじり始めた。
しばらくして、室内に控えめなノックの音が響くと、それを待ちわびたようにルルーシュは顔を上げ、返事を待たずに部屋に入ってきたスザクに視線を向ける。
「いきなり呼び出して、僕になにか急用でも?キミと違って暇じゃないんだけど」
そう言ったスザクは、あからさまに機嫌が悪そうだった。
サボり癖のあるルルーシュの仕事の代行をさせられた上に、ジェレミアの分の仕事まで背負い込まされているスザクは、体が二つあっても足りないくらいに忙しい。
その忙しい最中に突然呼び出されたのだから、スザクの機嫌が悪いのも頷ける。
しかしルルーシュはスザクの棘のある言葉などまったく気にしていない様子で椅子を勧めると、真面目な顔つきで、時間を惜しむかのように話を始めた。
それから約二時間。
二人だけでなにかを話し合い、部屋を退出したスザクの表情は緊張を湛えて、少し強張っているように見えた。が、二歩、三歩と足を運んだ後に、足を止めて今出てきた扉を振り返ると、疲れたような太い溜息を吐いた。
その様子を見れば、ルルーシュにまた面倒なことを押し付けられたことが窺える。
一方、ルルーシュはと言えば、スザクが部屋を出て行った後に、つまらなそうにしながらも珍しく仕事らしいことをし始めた。
その日の夜、昨夜よりもかなり遅い時間になってから、私室で寛いでいるルルーシュの前に姿を現したジェレミアの顔には、隠し切れない疲労の色が濃く浮かんでいた。
それでも、生真面目なジェレミアはここに来る前に、一日の汗を洗い流して、服を着替えてきたらしい。
ルルーシュは、胸の中でその几帳面さに苦笑を洩らしながらも、わざとらしく作った無表情な顔をジェレミアに向けて、今日一日の報告をつまらなそうに聞いている。
実際、ジェレミアの口から告げられる報告自体に、ルルーシュはまったく興味などないのだが。
一通りの報告をさせた後も、ルルーシュはつまらなさそうな視線をジェレミアに向けたままで、一言も口を開こうとはしなかった。
―――・・・な、なにか、ルルーシュ様のお気に障るようなことでも・・・言ったのだろうか?
と、気が気ではない様子のジェレミアは、戸惑ったような視線をルルーシュに向けている。
しばらく、重苦しい沈黙が続いた後、ルルーシュが小さく咳払いをしたのを合図に、室内にいた警護の兵士数名が一礼をして退室していく。
部屋にはルルーシュとジェレミアだけが残された。
「さて・・・」
と、ようやく口を開いたルルーシュを、ジェレミアは不安そうに見つめている。
ルルーシュの言動のひとつひとつに、必要以上に怯えるジェレミアを見ながら、ついつい込み上げてきそうになる笑いを噛み殺して、ルルーシュは一枚の紙をジェレミアの前に差し出した。
「これは・・・?」
恐る恐る覗き込んだジェレミアの目が、それが何かを理解して、僅かな困惑を浮かべている。
「約束の金の小切手だ」
「小切手・・・ですか?」
「500億もの現金を持ち歩くわけにもいかないだろう?アナログだが、持ち歩くにはこれが一番便利だ」
「・・・はぁ、まぁ・・・それは、そうですが・・・」
直接相手の口座に送金をしてくれれば済むことなのに、わざわざ小切手を用意したルルーシュの思惑がジェレミアには理解できずに、またなにか良からぬことを画策しているのではないかと、探るような疑惑の視線をルルーシュに向けている。
それを見取って、ルルーシュは苦笑を滲ませた。
「小切手では不服か?」
「いえ・・・。不服はありませんが・・・.。し、しかし・・・。なにもわざわざ小切手などを用意しなくても、口座に直接送金すればよいではありませんか?」
「・・・お前は馬鹿か?」
「は?」
「小切手なら、直接手渡しする機会ができるだろうが!それともなにか?お前はあの娘と、二度と会いたくないとでも言いたいのか?」
「そ・・・そんなことは、・・・ありませんが・・・」
会いたくないといえば嘘になるのだろう。
歯切れの悪い返事を返して、ルルーシュの顔色を上目遣いに窺っているジェレミアは、主の妬心を気にしているようだ。
それをわかっていて、ルルーシュは素知らぬふりをしながら、口許に微かな笑みを浮かべた。
「では、早速明日それを渡して来い」
「あ、明日、ですか!?」
「善は急げと、言うではないか。先方にはすでにメールで場所と時間を指定して約束を取り付けている。明日は一日特別に休暇をくれてやる」
「・・・・・・・・・・」
「無論、仕事外のことだから監視はつけないし、お前の行動に制約を設けるつもりもない。まぁ、精々うまくやってこい」
「話は以上だ」と勝手に決めつけると、ルルーシュは椅子から立ち上がって、今だ呆然としているジェレミアに背中を向けた。
「お、お待ちください!」
「なんだ?まだなにかあるのか?」
呼び止められて、鬱陶しそうな表情を見せながら振り返れば、ジェレミアは不安を募らせた瞳で、縋るようにルルーシュを見上げている。
昨夜とは打って変わって、悋気の気配を微塵も見せないルルーシュの態度に、ジェレミアは「嫌われたのでは?」と、急に不安になったのだ。
それとも、ルルーシュのこの素気無い態度は嫉妬の表れなのだろうか・・・と、ジェレミアの思考は目まぐるしく廻っている。
しかし、呼び止めてはみたものの、まさか、「ヤキモチを妬かないのですか」とは訊けない。
何かを言おうとして言いきれず、くちびるを微かに震わせるだけで、ジェレミアの口からは一向に言葉が出てこなかった。。
「・・・用がないならさっさと下がって休め。疲れた顔をして女性に会うのは失礼だぞ」
淡々とした口調でそう言って、再び背中を向けたルルーシュに、ジェレミアはついに耐え兼ねて、がっしりとルルーシュの腕にしがみついた。
見下ろせば、ジェレミアは今にも泣き出しそうな情けない顔をしている。
思わず笑ってしまいそうになるのをぐっと堪えて、冷ややかな視線をジェレミアに向ければ、ルルーシュを見上げるジェレミアの瞳がうるうると潤み始めた。
「な・・・なにか、お気に障るようなことを、致しましたで・・・しょう、か・・・?」
涙声で問いかけるジェレミアに、ルルーシュは尚も素っ気無く「別に・・・」と返して、ジェレミアの次の反応を期待している。
ジェレミアの瞳いっぱいに湛えた涙が、頬を伝って零れ落ちても、ルルーシュは表情を崩さなかった。
「なにを泣いている?」
「・・・ルルーシュ様は、わ、私が女性と会うのを・・・あまり、快く思っていらっしゃらない・・・のでは、ないのですか?」
「俺が、ヤキモチを妬くとでも?」
鼻で嗤って、ルルーシュはより一層の冷たさを見せつける。
「いちいちお前の行動にヤキモチを妬くほど、俺は暇じゃない。そんなくだらないことで俺の貴重な時間を無駄にさせるな」
その言葉が、ジェレミアに決定的な打撃を与えた。
嫌われたのか、それとも呆れられたのか、ジェレミアの中で答えはこの二つしか浮かんでこない。
そもそも、どんな理由があるにせよ、女性に貢ぐ為の金銭を主君に用立ててもらうなど、あってはならないのだ。
零れ落ちる涙が止まってしまうほどの衝撃を受けて、後悔と絶望の淵で打ちひしがれているジェレミアを、ルルーシュは無表情に見下ろしている。
ルルーシュの腕を掴んでいた手がだらりと落ちて、項垂れたままのジェレミアはピクリとも動かない。
「・・・ルルーシュ様・・・」
「なんだ?」
「ルルーシュ様は、私のことが嫌いになったのですね・・・?」
「・・・なぜ、そう思うのだ?」
「厚かましい男だと・・・お思いになっているのでは、ありませんか・・・?」
項垂れたまま、顔を上げることもなく、生気のない虚ろな声で問いかけるジェレミアに、ルルーシュは小さく舌打ちをした。
―――どうしてこいつはこうも悲観的になれるのだ?
ジェレミアが考えている理由とは別の意味で呆れつつも、それはすぐに優越感に変わっていく。
自尊心がひと一倍高いジェレミアを、ここまで追いつめることができるのは自分だけなのだと、そう考えただけで、ルルーシュの心は満たされた。
「馬鹿だな・・・。いや、お前が馬鹿なのは前々から知ってはいたが・・・。お前のことを、厚かましい男だなどと思ったことは一度もないぞ?」
「し、しかし・・・私はルルーシュ様に500億もの大金を・・・」
「大切な臣下の為に、俺ができることをしてやるのは当然のことではないか」
真顔で、もっともらしいことを言うルルーシュの言葉に、ジェレミアは恐る恐る顔を上げた。
口許に微笑を湛えたルルーシュを見つめるジェレミアの瞳には、絶望の中にも微かな希望と期待が浮かんでいる。
「ほ、本当ですか?・・・今のルルーシュ様のお言葉を、信じても・・・よろしいのですか?」
「そんなに俺が信用できないか?」
笑いながらそう問い返すと、ジェレミアは自分の猜疑心を恥じるように顔を俯けた。
「も、申し訳ございません・・・」
「わかってもらえればそれでいい。・・・明日に備えて今日はもう休め」
「ルルーシュ様・・・あ、あの・・・差し支えなければ、ご・・・御一緒しても、よろしいでしょうか?」
「・・・どういう風の吹き回しだ?」
「ルルーシュ様のお傍で・・・休ませては、いただけないでしょうか?」
ジェレミアの言葉に、ルルーシュは少し考えるふりをして、
「いや・・・やっぱり、今日は自分の部屋に戻って休め」
「ど、どうしてですか?私が一緒だと、迷惑・・・だから、ですか?」
「勘違いをするな」
「では、なぜ・・・?」
「お前、疲れているんだろう?あまり無理をせずに体を休めろ」
「だ、大丈夫です!ルルーシュ様の為でしたら私は・・・!」
必死の様相で縋りつくジェレミアを見下ろしながら、ルルーシュはわざとらしいほど大きな溜息を吐いた。
「そうか・・・?では、着替えてくるから、お前は先に向こうで待っていろ」
「は、はい!」
ルルーシュの言葉に、ぱっと顔を輝かせたジェレミアに、ルルーシュは苦笑を滲ませる。
しかし、仕方なしと言った表情とは裏腹に、ルルーシュは心の中で、ニヤリとしてやったりの笑みを浮かべていた。
昼間、スザクに無理矢理仕事をさせられた鬱憤を、ジェレミアを虐めることで晴らした上に、ルルーシュに対するジェレミアの執着心をこれまで以上に倍増させ、尚且つ、ジェレミア自らが望んだ形で寝室に誘い込むという、一石二鳥ならぬ、一石三鳥の計画は見事に成功したのである。
そうとは知らないジェレミアは、奥の寝室でそわそわと落ち着かない様子で、ルルーシュが来るのを待ち焦がれている。
何気なく目を遣った無駄に広いベッドの上に、見慣れた自分用の着替えが用意してあるのをジェレミアが発見したのは、それからかなり後になってのことだった。
―――は・・・嵌められた!
ジェレミアがそう気づいた時には、すでに後の祭りである。
「超」がつくほどご機嫌なルルーシュの足音が、ジェレミアの待つ寝室に、徐々に近づきつつあった。